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AMSA Japanとしての活動をしてきた学生は、その後どのような道を歩んだのか。
​学生時代のAMSA Japanとしての活動や、現在のご活躍についてインタビューをしました。

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菅波 茂先生

国連経済社会理事会総合協議資格 NGO

AMDAグループ代表・AMDA理事長 特定非営利活動法人AMDA理事長

1946年12月29日生まれ 岡山大学医学部卒、医学博士

公設国際貢献大学校名誉校長 (2001年9月1日設立と同時に校長に就任、07年4月より現職)

*AMDA グループ:・特定非営利活動法人AMDA ・特定非営利活動法人 AMDA 国際医療情報センター ・特定非営利活動法人AMDA社会開発機構 ・AMDAインターナショナル ・アムダ国際福祉事業団・AMDA兵庫等

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飛べ!AMSAとAMDA。

AMDAグループ代表 菅波茂

 

AMSAを設立したのは1980年です。タイのマヒドン大学で第一回の国際会議を開催しました。参加国は日本、タイ、インドとシンガポールの4ケ国の医学生でした。何故にタイのマヒドン大学で第一回の国際会議を開催することになったのか説明します。1978年に大量のカンボジア難民がタイ国境のカオイダンに逃げ込んできました。この時に日本のメディが連日キャンペーンを行いました。「カンボジア難民救援活動を欧米の若い人たちが大挙して実施しているのに、なぜ日本の若者は難民支援活動に参加しないのか」と。

1976年に岡山大学医学部アジア伝統医学(前身は岡山大学クワイ河医学踏査隊)が中心になって設立した西日本アジア医学生連絡協議会からカンボジア難民キャンプに調査チームを派遣することを決定しました。医師であった私と2名の岡山大学医学生がカオイダン難民キャンプに行きました。この時に参加した牛尾光弘氏は初代の西日本アジア医学生連絡協議会議長でした。難民キャンプを管理している国連難民高等弁務官の対応は冷淡でした。「難民キャンプで国連高等難民弁務官と契約してプログラムを実施したことのない団体を難民キャンプで活動してもらうことはできない」と。熱意だけでは何もできないと悟った瞬間でした。

この時に難民キャンプで出会った秋田大学医学部の遠田耕平氏に東日本アジア医学生連絡協議会を立ち上げてもらい、1978年に全日本アジア医学生連絡協議会としてアジアの医学生達と国際会議を開催する約束をしました。アジアの医療ネットワーク設立のために。

1980年にタイのマヒドン大学で第1回アジア医学生国際会議が開催できたのはデパノム・ムァンマン、マヒドン大学公衆衛生学部部長と丸地信弘信州大学公衆衛生学教授の人間関係のお世話になったからです。人間関係の大切さと有難さをしみじみと感じました。

第1回アジア医学生国際会議の日本側の代表は牛尾光弘氏(岡山大学)、第2回の会議では遠田耕平氏(秋田大学)、第3回は安隆則 (秋田大学)、第4回は川上剛氏(東京医科歯科大学)と歴代の代表に続きます。続く歴代の代表も全日本医学生アジア連絡協議会の議長でした。ちなみに、第1回の国際会議のテーマは「Better Medicine、Better Future in Asia」でした。その後は会議ごとにふさわしいテーマが選ばれています。

AMSA設立4年後の1984年にAMDAを立ち上げました。簡潔に言えばAMSAはFriendshipであり、AMDAはproject主体のPartnershipのネットワークです。AMDAは2006年に国連経済社会理事会総合協議資格を認定されました。国連諸機関で政策提言ができる資格です。日本のNGOでは初めてです。世界では137番目です。公表されている最新の情報でも2018年までに138団体しか認定されていません。現在も日本ではAMDAだけです。国境なき医師団、国際赤十字委員会、ロータリ―インターナショナルなどと同格の資格です。私はAMSAとAMDAを設立してきましたが、夢は近い将来にAMSAとAMDAが合同で世界平和に向けて国連に政策提言をすることです。是非、実現させましょう。

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菅波先生

・経歴

2009年 自治医科大学卒業

柴田和香先生

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・AMSAでの活動

AMSA Japan Regional Chairperson 04/05

AMSA Japan 代表 05/06

AMSA International Overall Chairperson 06/07

第29回 AMSC 東京 2008 運営委員会議長

 

私が医学生の頃は、アメリカ同時多発テロ事件の数年後でイラク・アフガニスタン戦争が起こっていたり、スマトラ沖地震やSARS・鳥インフルエンザのアウトブレイクが発生したりしました。AMSAの友達を通して、世の中で起きていることが身近に感じ、彼らの想いや生き方に刺激を受けました。

・現在

自治医科大学の卒業生として千葉県で地域医療に従事していましたが、義務年限が明け、やはり国際保健の仕事にチャレンジしたいと思い、2020年4月からアフリカで予防接種関連の仕事を始める予定でしたが、COVID-19に出鼻をくじかれてしまい、派遣が延期となってしまいました。幸い9月からオランダの大学への留学できることになり、国際保健の修士課程を始める予定です。

​・メッセージ

AMSAでは国際学生団体の運営に関わる、というとても貴重な経験をすることができました。一緒に活動していた国内外の仲間はかけがえのない友人となり、卒後10年以上経ちますが今も連絡をとり続けている人もたくさんいます。そして、AMSAを通してアジアの多様性を知り、アジアの人々のエネルギーと温かさが大好きになりました。AMSAとの出逢いは私の人生を大きく動かし、今も私の原動力になっています。

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柴田先生

東京医科歯科大学医学部医学科 卒業

横浜市立みなと赤十字病院 初期研修1年目

東京医科歯科大学医学部付属病院 初期研修2年目

東京医科歯科大学医学部付属病院 救命救急センター入局

東京女子医科大学東医療センター救命救急センター 勤務

厚生労働省  医師の働き方改革に関する検討会 構成員

日本救急医学会 医師の働き方改革に関する特別委員会 委員

東京医科⻭科⼤学 ⼤学院医⻭学総合研究科

国際保健医療事業開発学分野 博士課程進学

厚生労働省 日本DMAT事務局

厚生労働省 新型コロナウイルス対策推進本部事務局参与

赤星昂己先生

​あかほし   こうき

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2015年 

2016年 

2017年 

2018年

2019年 

2020年 

・AMSAでの活動

大学1年生の時にマレーシアで開催された第23回東アジア医学生会議に参加し、国際会議の楽しさに魅了され、そのままInternational部門のChief Delegateに。その後、翌年の大学2年生時に外務代表(Regional Chairperson)となり何度か国際会議に参加する中で、第26回東アジア医学生会議を日本で開催しようとする動きが出ました。ネットワークを築くチャンスだと思い、様々な反対も押し切りながら、他の立候補国とも対抗しながら何とか日本に誘致することに成功。日本開催決定と同時に災害医療をテーマとして「第26回 東アジア医学生会議」の議長を務めました。

 

・現在

現在は週に2日間は救命救急センターで勤務しながらも、厚生労働省 日本DMAT事務局に所属し、災害時や新型コロナウィルス感染症の集団感染発生時の現場に向かい、そのマネージメントを行う仕事をしています。

直近では、北海道札幌市にある介護老人保健施設「茨戸アカシアハイツ」における対応をさせて頂いておりました

・メッセージ

「将来のキャリアのために」という人は学生活動より勉強をした方がいい。何か得るもの目的で活動しても楽しくないし、実際に上手くいかない。でも、結果として将来に役立つものが得られることはたくさんある。私は学生時代、集団全体をマネージメントする経験を数多くさせて戴きました。その中で信頼関係を築き、個々の考えを尊重しながらも全体の方針をまとめ、前進させていく大変さを実感致しましたが、その経験は様々な職種の方と連携して働く救急の医療現場で確実に活きています。またAMSAで知り合った仲間の中には今も仕事仲間という方もいます。何よりA M S Aでの活動から得られた、確固たる信念と責任感を持ち続けて最後まで遂行する姿勢は、机の上の勉強では絶対に学べない。でも、命を扱う医療現場においては最も大切なものであると、私は信じています。

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赤星先生

高松優光先生

・2010年4月に、米国帰国子女として、佐賀大学医学部入学

・在学中はAMSA、陸上・トライアスロン部に所属、英国短期臨床留学も実施 

・マッチングは受けず、卒業後は日本医療政策機構にて国際保健分野の政策提言に従事

・その後、新渡戸記念中野総合病院にて2年間の臨床研修を行う

・2019年7月より、WHOナイジェリアに赴任して、ポリオ対策・予防接種強化に取り組む

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・AMSAでの活動

2010年からKnowledge部門にて役員(AJEC)になり、2011年にはHong KongでのAMSA-IFMSA Joint Conferenceに参加しました。その後、2011-12年にはAMSA Japan代表を務めました。

代表の時は、異分野交流をテーマに、法学生・模擬国連・教育団体等ともコラボしました。「もしドラ」に感化され、組織運営についても、いろいろ試行錯誤したのは、良い経験でした!

・現在

現在は、一人前のEpidemiologist(疫学者)を目指して、国際機関という枠組みの中で修行しています。特に感染症対策や予防接種強化に取り組んでいます。

・メッセージ

AMSAの繋がりは、プライベートにもキャリアにも、人生を豊かにしてくれます。特に、後輩の手助けをするという、Pay Forwardの精神は、AMSAらしい文化だと思います。何かあれば、気軽にご連絡ください。

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高松先生

岩瀬翔先生

2015年 大学2年 AMSC Singapore参加、White paper部門プレゼン

         AJEC加入 academic部門長

2016年 大学3年 副代表内務

         EAMSC Melbourne chief delegate

2017年 大学4年 代表

         AMSC Korea RC proxy

2018年 第1回JaMSC開催

2020年 自治医科大学卒業

     都立広尾病院 初期研修医

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・AMSAでの活動

大学1年の終わりにネットサーフィンでAMSAを見つけ、飛び込んだ国際会議で初めて世界中に友達ができました。その興奮が忘れられずAJECに入り、代表まで駆け抜けました(笑)

国際会議に参加できる日本人学生が少なくなる中で、「AMSAの本質とは何か?」を問い続けて「未来のために今繋がろう」という新しいvisionを考えました。時代に合った学生団体のあり方を仲間とぶつかりながらも考えて、JaMSCという国内イベントに結晶できたのは大切な思い出です。

 

・現在

AMSAを引退した後は「繋がり」を学生間に留めず、地域や社会に広げて多くの人が健康に幸せになれると考えて活動してきました。地域の繋がりを作るまちづくりについて全国やイギリスで学び、医師として働き始めてからは学びを実践していこうとしている所です。

 

・メッセージ

興味の向くままに分け隔てなく挑戦してください。

また、会いたいと思った人には遠慮なく連絡して頼ってみましょう。

学生にはまだ実力はない、でも夢やエネルギーはある。だからこそ想像以上に多くの人が応援してくれます。

未来を広げる繋がりを広げられるのはちょっとの勇気です!

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岩瀬先生

井原紫逸

2016年 千葉大学医学部入学  

     AMSC Phillipines に参加

     AMSA Japan Action部門

2017年 EAMSC Australia に参加

    AMSEP 千葉大学×国立成功大学(台湾)に参加

     AMSA Japan RCに就任

2018年 AMSA Japan 代表

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・AMSAでの活動

低学年の頃はイベントの企画・運営を中心に活動していました。その翌年にRCでの経験を経て2018-2019 年の代表になりました。在任中は前年度から始めたJaMSC(Japanese Medical Students’ Camp)や新部門制度などの定着を目指して運営をしていました。

代表退任後は勉強会を中心に活動しています。

 

・現在

Public Healthの分野で疫学研究やデータ解析をしています。主な研究テーマは社会的処方, 健康格差, 地域医療構想などです。(というとなんかすごいことやってると思うかもしれないですが、まだ始めたばかりで上の先生に指導をしていただきながら四苦八苦してます、、)

 

・メッセージ

気軽に色々お話ししましょう!楽しみにしてます!

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井原先生
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